イオングループはどうやって成長してきたのか?

イオンと言えば、日本国内では最大手に入る小売り業ですね。
現在では国内外あわせて260以上もの企業とイオングループを
形成しており、名実ともに大企業の1つだと言えます。
そんなイオングループがどうやって成長をしてきたのかを
解説します。

 

イオンの創業は古く、江戸時代にまで遡る

現在の三重県四日市市に岡田惣左衛門という人物が篠原屋というお店を創業したことに始まります。ここから100年以上経過した明治時代に、篠原屋は移転をしたことを契機にして岡田屋と改称しており、さらに大正時代へと移って株式会社岡田屋呉服店と法人化されました。この時のトップが岡田惣一郎という人物なのですが、この人の息子が現在のイオングループ名誉会長である岡田卓也という人物ですね。ちなみに、民主党の衆議院議員である岡田克也氏は岡田卓也氏の次男にあたります。

 

昭和に入ってからは皆さんが良く知るであろう店舗の名前が出てきます。それはジャスコですね。もともともはフタギ、シロという小売店と共同出資で作った仕入れ会社だったのですが、1970年には岡田屋がジャスコ株式会社に社名変更をしています。

 

その後も様々な小売業などを吸収・合併していき、企業のスケールがどんどんと大きくなっていき、ジャスコグループとして活躍の場も広げていきました。イオングループの名が出て来るのは
1989年に入ってからですね。ジャスコグループからの名称変更です。

 

ジャスコグループからイオン株式会社へ

2001年に入ってからジャスコから正式にイオン株式会社と変わります。この時にイオングループの名称もイオンとされているので、正式にはイオングループという呼称はありません。ちなみにイオンのグループ会社としては、関東地方を中心とした弁当専門のオリジン弁当、小型のスーパーマーケットであるまいばすっと、コンビニエンスストアであるミニストップ、元ヤオハンジャパンであったマックスバリュなどがあります。

 

イオンの急激な成長

イオンの急激な成長の中核をなしたのは、上でもあげたように岡田卓也氏ですね。
この岡田卓也氏の持論の1つに、狸やキツネの出る場所に出店せよという言葉があります。
この言葉通り、イオンには郊外型の大型ショッピングセンターが多いのが特徴だと言えるでしょう。イオンと対するように駅前や大都市の中心部に多くの店舗を構えていたダイエーが業績悪化の一途を辿っていったのを見るに、先見の明があったと言っても良いですね。現在も郊外に大型の店舗を多く有しており、中には買い物と言えばイオンというような地域も沢山あるのが成長の理由の1つかもしれません。

 

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